tsureづれ日記

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疾病受容

特性についていろいろ考えたて当てはめてみた。
きっかけはお医者さんの友達からADHDだよって言われたから。
びっくりした。まさか自分が言われると思ってなくて。
めっちゃ拒否した。
それは友達がADHDだから私も巻き込みたいんだな。とか
からかってるんだな。とか。面白がってるんだな。とか。
それに自分で発達障害だからって言ってる人が嫌いだった。
それを言い訳にしてる感じがして。
衝動的に人を傷つけてもだって発達障害なんだもん。とか。
片付けができないこと。じっとできなくて自由にしてる人。
約束を破る人。暴れる人。鬱々する人。
全部、発達障害にせいにしててムカついていた。
実際に入院してくる人はそれが辛くて何かしら生活に支障をきたしていた。
とても傷ついていた。理解者がいない。いつも責められる。自己肯定感が低い。
鬱が併発している。
そんな人をたくさんみてきたから、それを言い訳にしている人が嫌だった。

それが私の疾病受容を妨げていた。

調べれば調べるほど、当てはまる。
ずっと育てにくい子どもだったと言われてきた。
だから捨てられたのだと思っていた。
それでいろいろ拗らせて、人と違う人生を歩みたかった。何か特別な自分じゃないと行けないと思っていた。突拍子もないことを言ったりするのは生育歴のせいだと思っていた。昔読んだ漫画が影響してなりたい自分を装っているんだと思っていた。

実は、生まれ持った性質だったんだ。
もちろん、それは生育歴も絡んで自分が出来上がっているんだけど。

なりたい自分になれる訳ではない。
そこに自分が描かれていて、当てはめていったんだと思う。
どっちが自分かわかんなかったけど、きっとどっちも自分。

確かに特性はある。当事者の体験を聞いても当てはまることがたくさんあった。

私はそれほど生活に支障がないのはなんとか適応してきたから。
時間にルーズなのは知ってるから、約束がはたせるまでめっちゃ緊張して不安だったし、なるべく先の約束はしないできたし。
仕事もある程度枠にはまらなくてもいい職場なのも有難い。
むしろ理解してくれている。

勘が良いのもラッキーだった。少しのヒントである程度できてきた。一番にはなれなくても、ある程度のところまで行くことができていた。理解者がいてくれたから。
きっと家族は大変だったと思う。たくさん傷つけてきた。
育て方を間違ったとも言われた。
違うよ。それは私の特性だから。
もう少し時間がたったら家族にも伝えよう。

みんなと少し違う自分が好きなとこでもあったけど、人間関係が煩わしいのも事実。
理解者や面白がってくれる人が周りにいてくれるから助かった。
でもエネルギーを使わせるから少しだけ距離が必要。
きっとみんなも肌で感じるから、距離を保っているんだろうな。

あんまり周りに行っても仕方ない。自分がそれを理解し、受容できればそれでいい。

特性を言い訳にせず、精一杯自分ができることをやっていれば見てくれる人も、興味を持ってくれる人もいる。

それを言い訳にせず、生きていこう。

ありがとう。